父との関係は、今もまだ言葉にしづらい。
「怖かった」「関わりたくなかった」──でも、それだけでは言い切れない思いが、今も胸に残っている。
父は“触れてはいけない地雷”のような人だった
父のことを、僕は今でもうまく言葉にできません。
家ではほとんど喋らず、いつも眉間に深いしわを寄せて、不機嫌そうな顔をしていました。
何を考えているのか分からないけれど、機嫌が悪いことだけは伝わってくる。まるで“触れてはいけない地雷”のような存在でした。
そして、父の言葉より先に出てくるのは、いつも手でした。
理由なんて、たぶんどうでもよかったんだと思います。
少しでも反抗的に見えたら、「痛み」が突然ふってくる。
暴力というより、「感情の爆発」を子どもにぶつけていただけ──今ならそう思える。
でも、当時の僕は、ただただ怖くて、息を潜めるしかありませんでした。
家の中に、安心できる場所はなかった
母は母で、気分屋で理不尽だった。
父もまた、近づくにはあまりにも怖かった。
小学生の僕にとって「家」は、“居場所”ではなく“避けるべき場所”でした。
そんな中で、父が機嫌よさそうにしている日がたまにありました。
無言だけど、怒っていない感じ。
「今日は怒鳴られないかも」と思って、少しだけホッとしたのを覚えています。
子どもって本当に健気です。
殴られても、怒鳴られても、親の顔色をうかがう。
嫌われたくない、見捨てられたくない──ただその一心で、必死に合わせる。
僕もずっとそうでした。
愛されていないかもしれないと思いながらも、父に認められたくて、頑張っていた。
大人になった今、父のことを少しだけ理解できる
今、大人になって思うのは、父もまた「自分の人生を生ききれなかった人」だったのかもしれない、ということです。
時代背景、家庭、労働環境、感情表現の不器用さ──いろんな要因があったと思う。
黙って工場で交代勤務をこなし、米を作る。自分の感情を押し込めて生きるしかなかった。
きっと父なりに、何かを必死に我慢していたのかもしれない。
でも、それでも僕は傷ついた
だからといって、あの暴力が許されるわけではありません。
どんな事情があっても、子どもに手を上げていい理由にはならない。
「父も苦しかった」と思う自分と、「それでも僕は傷ついた」と訴える自分が、今も心の中で共存しています。
今はもう、父とは距離を置いている
特別な感情も、強い憎しみも、もうあまりありません。
ただ、静かに距離を置いている。それだけです。
でも、父の影は今も心の奥に残っていて、人との距離感や怒鳴り声への反応など、さまざまな場面で顔を出します。
子どもを守れる大人でありたい
今、僕は「子どもを守れる大人になりたい」と思っています。
苦しんでいる子どもに「大丈夫だよ」と言ってあげられる人に。
怖がらせるのではなく、安心させられる存在に。
自分が欲しかったものを、誰かに与えられる人間になりたい。
そのために、僕はこうして文章を書いています。
あの頃の僕に言ってあげられなかった言葉を、今の自分が紡いでいます。
追記
今、父親との関係に苦しんでいる方へ。
「怖い」「嫌い」「でも嫌いになれない」──どんな感情も、あなたの感じていることは間違っていません。
距離を取ってもいい。向き合ってもいい。
まずは「自分を守ること」を、何より大切にしてください。


