傷の上にやさしさは育つのか──「痛み」から始まる共感の話

それでも生きる

 やさしい人になりたい──そう願ったのは、やさしくされた記憶があるからじゃない。
やさしさがなかった世界で、ずっと息を潜めて生きてきたからだ。
その“空白”に気づいたとき、僕は初めて、「誰かにやさしさを渡したい」と思った。

「やさしくありたい」と思った理由

僕はずっと、怒鳴り声と無視の中で育ってきた。
叩かれることもあったし、何を言っても否定される毎日。
家という場所は、僕にとって安らげる場所ではなく、ただ耐える場所だった。

だからこそ、たまにふれるやさしさが、胸に強く残った。
従姉妹の家に泊まった夜の静けさ。
近所のお寺で過ごした、やさしい笑顔の食卓。
そこにあったのは、「何も起こらない」という安心感だった。

小さなやさしさが教えてくれたこと

怒られない時間。
否定されない空気。
ただ静かに、穏やかに、誰かがそばにいるという感覚。

それがどれほど特別だったか、大人になった今だからこそわかる。
あの頃の僕にとって、やさしさは「知らなかった世界」だった。
そしてそのぬくもりに触れた瞬間から、「やさしくありたい」と思うようになった。

本当のやさしさとは何か

でも時々、自分に問いかける。

「僕のやさしさは、ただ怒られないように空気を読んでいるだけじゃないか?」
「本当は相手を思っているんじゃなくて、自分を守るためなんじゃないか?」

誰かに嫌われないように。
場の空気を壊さないように。
そうやって動いてきた自分は、“やさしい人”とは言えないんじゃないかと感じることもある。

傷の中から育ったやさしさ

それでも、僕は信じたい。
やさしさは、完璧な人から生まれるものではない。
むしろ、傷ついた経験や、弱さの中からこそ芽生えるものなのだと。

「もう誰にも、あんな思いをさせたくない」
「せめて、目の前の誰かだけでも救いたい」

そんな想いが、少しずつ僕を“やさしい行動”へと導いてくれた。

やさしさは誰かを癒すだけじゃない

やさしさは、必ずしも見返りがあるものではない。
それでも僕は、やさしくありたいと思う。
なぜなら、僕自身がかつて、誰かの見返りのないやさしさに救われたからだ。

「大丈夫?」のひと言。
ただそばにいてくれた静かな存在。
そのすべてが、僕の人生に確かな光を残してくれている。

追記

もしあなたが、自分の弱さや過去の傷を恥じているなら──
その痛みこそが、やさしさの芽になるかもしれません。

誰よりも傷ついた人が、誰よりも寄り添えることがある。
そのやさしさは、他人だけでなく、きっと自分自身をも癒してくれます。

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