子ども時代、僕はずっと「北風」にさらされていた。怒られないように、嫌われないように、びくびくと生きていた日々。
それでも今、僕は“太陽のような人”になりたいと思っている。あたたかく、やわらかく、そっと誰かを照らせる存在に──。
北風にさらされた子ども時代
イソップ童話『北風と太陽』を初めて読んだとき、子どもながらに強く心を動かされた。
「冷たい風で吹き飛ばすよりも、あたたかい光でゆるめる方が強い」
その優しさの力に、憧れたのだと思う。
なぜなら、僕の家庭は北風のような場所だった。
怒鳴り声と無視、叩かれる日々。言葉はあっても、愛情はなかった。
「怒られないように」「嫌われないように」そんな思考が癖づいて、いつの間にか“感情”を殺すようになっていた。
小さなやさしさが教えてくれたこと
そんな僕を救ったのは、ほんの小さな“あたたかさ”だった。
従姉妹の家のやわらかな空気、近所のお寺で過ごす静かな夜。誰も怒らず、何も求めず、ただそばにいてくれる人たち。
「こんな世界もあるんだ」と思えたとき、心のどこかが確かにふるえた。
安心を知らない子どもたちへ
大人になった今、あの頃の自分のように「安心を知らない子どもたち」を想像することがある。
怒られないように息をひそめて生きている子。
愛される価値がないと思い込んでしまった子。
そんな子たちに、「あなたは、あなたのままでいい」と伝えたい。
「生きているだけでいいんだよ」と。
僕が“太陽”になろうと決めた理由
僕の願いは、「みんなで幸せになっていく」こと。
一人だけが勝つのではなく、お互いを助け、癒す世界。
そのために、過去の苦しみや気づきを、少しでも誰かの役に立てたい。
「子どもたちの笑顔が見られることをしたい」と思えるのは、あの頃の自分の涙を知っているから。
ほんの少しでも、あたたかく
太陽のような存在になるために、特別なことは必要ない。
たとえば、誰かの話を否定せず、静かに聞くこと。
ただそばにいて、そっと見守ること。
かつての僕が受け取ったように、今度は誰かに渡す側になりたい。
もちろん、今もときどき心が揺れる。
でも“あたたかくありたい”という想いは、どんな過去より強い。
だから僕は今日も、文章を書く。
誰かの心に届くことを願って、静かに言葉を紡いでいる。
追記
もし、かつての僕のように苦しんだ過去があるなら。
そして今、誰かの力になりたいと願っているなら。
あなたはもう、十分に“太陽”です。
太陽は、自分の光に気づかぬまま誰かを照らしている。
その優しさは、きっと誰かの心を救っている。
そして、あなた自身の心も、きっと少しずつ癒されていくはずです。


