アドラーの勇気と僕の小さな一歩──自己決定という呪縛からの解放

それでも生きる

「今、この瞬間から幸せになる勇気を持て」──アドラー心理学の言葉はまっすぐで力強い。けれど、過去に苦しんできた僕にとって、それは時に苦しくもあった。「選ぶ自由なんてなかった」そんな子ども時代を経て、今、僕がようやくたどり着いた「小さな一歩」の話です。

自由なんて、なかった

アドラー心理学の言葉に出会ったとき、心を突き動かされた反面、苦しさも感じた。
「すべての悩みは対人関係の悩みである」
「人は変われる」
「今、この瞬間から幸せになれる」

──でも、僕には「自由に選べる」感覚がなかった。

感情も行動も、親の顔色次第だった。怒られないように、見捨てられないように。僕は子どもながらに先回りして忖度する術を身につけた。

親の課題を、僕が背負っていた

アドラーは「課題の分離」を説く。他者の課題には踏み込まない。
でも、僕はずっと「親の課題」を背負わされてきた。

母と父の機嫌、失敗、不満、恐れ──本来なら「親自身の問題」であるはずのものが、いつも僕の責任にされていた。

自己決定性の「落とし穴」

アドラー心理学には「自己決定性」という考え方がある。「過去ではなく“今”の選択が未来を変える」と。でも僕は長らく、それに違和感を抱いていた。

「心の余白」がない人にとって、そもそも“今を選ぶ”こと自体が難しい。
「君の不幸は君のせい」と突き放されているように感じてしまった。

僕は、選べない子どもだった

あるとき、ふと気づいた。「僕は、選べなかった子どもだった」──それは、責めることじゃなく事実として受け入れていい。

でも同時に、「今の僕は、選び直せる大人だ」と思えたとき、ほんの少しだけ心が軽くなった。

最初の一歩は「言葉にすること」

僕にとっての最初の一歩は、自分の気持ちを言葉にすることだった。

ずっと飲み込んできた想い。
「どうせ否定される」「聞いてもらえない」──そんな恐れがこびりついていた。

でも、勇気を出して言葉にしたとき、「自分らしさ」の存在を感じた。

完璧じゃなくていい。怖がったままでいい

アドラーの言う“勇気”とは、失敗しないことじゃない。
怖くても進むこと。
拒絶されても、自分のまま生きること。

僕は、大きな決意ではなく、小さな行動を積み重ねてきた。
そのひとつひとつが、今の僕をつくっている。

立ち止まることも、人生の一部

もし、いま立ち止まっている人がいるなら、
それは“変わるための時間”かもしれない。

焦らなくていい。
誰かと比べなくていい。

小さな一歩を踏み出せたなら、
あなたはもう、自分の人生を歩きはじめている。

追記

アドラー心理学は、冷たくも厳しくもない。
本当は、弱さを抱えたままでも生きていいんだよ、と教えてくれる哲学だと思う。

「勇気がなくても、勇気があるふりをしていい」
今日もその言葉を胸に、僕は自分を取り戻しながら、静かに一歩ずつ進んでいる。

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